グジコーン再生CD『もう泣かないで』が、テクモ指定CDである可能性が浮上しました
以前紹介しました、ウェーブプレス所持・移動Aグジコーンが再生されるCD、
瀬能あづさ『もう泣かないで』。
(モンスターファーム2@まとめwikiより引用)
当時はこのCDとグジコーンのつながりを見出せなかったので、
筆者はこのCDをテクモ指定CDではなく偶然被りCDと断定しました。
ところがどっこい読者さんから「これ偶然被りCDじゃないんじゃね?○○つながりあるからテクモ指定CDじゃね?」という種のご意見を複数いただきまして、
それをヒントに筆者も調べていましたら、つながり要素が見つかりまくりでお口あんぐり。
結果、このCDが偶然被りCDではなくテクモ指定CDである可能性が浮上しましたので、
今回はグジコーンの独立した記事を作成する次第となりました。
以前の記事のようにおまけ扱いしたままだとグジコーンさんサイドに申し訳が立たないですしね。
読者さんのコメントに、元横浜ベイスターズの石井琢朗につながりがあるのでは?
というご指摘がありました。というわけで石井琢朗周りを洗いました。
以下はつながり要素の羅列です。
石井琢朗 1998年当時は横浜ベイスターズ所属
①1996年に瀬能あづさが石井琢朗と結婚。
②横浜ベイスターズの前身が大洋ホエールズ。(石井琢朗もホエールズ時代から所属)
→くじら→グジラ種
③MF2開発真っ盛りである、1998年当時の横浜の監督が権藤博。
→ゴンドウといえばゴンドウクジラ→グジラ種
ゴンドウクジラ
④横浜ベイスターズのチームカラーが青と白。
→グジコーン
⑤1998年に石井琢朗が盗塁王になっている。
→足が速い→移動A
⑥1番打者が石井琢朗、2番打者が波留敏夫という並びが固定化されていた。
(この二人は阿吽の呼吸の関係で、石井が塁に出るとヒットエンドランまたは単独スチール、送りバントをノーサインでやっていた。)
→波留→ウェーブプレス
⑦応援席でのウェーブ応援。(当時の横浜ファンがウェーブ応援をやっていたかどうかはわかりませんでしたが)
→ウェーブプレス
⑧1998年に横浜ベイスターズが38年ぶりに日本一達成。
→スタッフに横浜ファンがいて、嬉しさのあまり石井琢朗をグジコーンに見立てて指定した説。
⑨ライフ、回避が143。
→石井さん(143)
⑩佐々木主浩のあだ名が「ハマの大魔神」
→浜の大魔神感のあるグジコーン
⑪佐々木の最速154km/hの速球
→移動A
⑫1992年に横浜ベイスターズのイメージソング『横浜Boy Style』(CoCo歌唱)発売
→CoCoは瀬能あづさが所属していたアイドルグループ。
(なお、瀬能あづさがCoCoを脱退したのは1992年5月で、『横浜Boy Style』発売は1992年11月。惜しくもギリギリ所属していない。ちなみに『横浜Boy Style』のカップリング曲であり横浜BSの応援曲『WINNING』に石井琢朗がコーラスで参加している)
→選定スタッフが瀬能あづさ推しで、瀬能脱退済みのCoCo『横浜Boy Style』はあえて選ばなかった説。
⑬CoCo時代の瀬能あづさのイメージカラーが青。(ずっと青というわけではなかったようですが)
→グジコーン
点と点がつながりました!
つ な が り ま し た ね ?
石井琢朗(横浜ベイスターズ)由来ということで、
瀬能あづさ『もう泣かないで』はテクモ指定CDであるという結論に至りましたとさ!
それに加えらんま1/2水ぶっかけウェーブプレス説や久慈コーン説もありますねぇ!
いや久慈は阪神やろ!なんでや!阪神関係無いやろ!
コメントありがとうございました!
MAXガンバや泣いてないってばダンゴウザカのつながりも募集中です。
ただし『泣いてないってば』に関しては偶然被りCDである可能性があります。
トラックが4つだけのシングルCDなので、収録時間が比較的被りやすいためです。
瀬能あづさ『もう泣かないで』。
(モンスターファーム2@まとめwikiより引用)
当時はこのCDとグジコーンのつながりを見出せなかったので、
筆者はこのCDをテクモ指定CDではなく偶然被りCDと断定しました。
ところがどっこい読者さんから「これ偶然被りCDじゃないんじゃね?○○つながりあるからテクモ指定CDじゃね?」という種のご意見を複数いただきまして、
それをヒントに筆者も調べていましたら、つながり要素が見つかりまくりでお口あんぐり。
結果、このCDが偶然被りCDではなくテクモ指定CDである可能性が浮上しましたので、
今回はグジコーンの独立した記事を作成する次第となりました。
以前の記事のようにおまけ扱いしたままだとグジコーンさんサイドに申し訳が立たないですしね。
読者さんのコメントに、元横浜ベイスターズの石井琢朗につながりがあるのでは?
というご指摘がありました。というわけで石井琢朗周りを洗いました。
以下はつながり要素の羅列です。
石井琢朗 1998年当時は横浜ベイスターズ所属
①1996年に瀬能あづさが石井琢朗と結婚。
②横浜ベイスターズの前身が大洋ホエールズ。(石井琢朗もホエールズ時代から所属)
→くじら→グジラ種
③MF2開発真っ盛りである、1998年当時の横浜の監督が権藤博。
→ゴンドウといえばゴンドウクジラ→グジラ種
ゴンドウクジラ
④横浜ベイスターズのチームカラーが青と白。
→グジコーン
⑤1998年に石井琢朗が盗塁王になっている。
→足が速い→移動A
⑥1番打者が石井琢朗、2番打者が波留敏夫という並びが固定化されていた。
(この二人は阿吽の呼吸の関係で、石井が塁に出るとヒットエンドランまたは単独スチール、送りバントをノーサインでやっていた。)
→波留→ウェーブプレス
⑦応援席でのウェーブ応援。(当時の横浜ファンがウェーブ応援をやっていたかどうかはわかりませんでしたが)
→ウェーブプレス
⑧1998年に横浜ベイスターズが38年ぶりに日本一達成。
→スタッフに横浜ファンがいて、嬉しさのあまり石井琢朗をグジコーンに見立てて指定した説。
⑨ライフ、回避が143。
→石井さん(143)
⑩佐々木主浩のあだ名が「ハマの大魔神」
→浜の大魔神感のあるグジコーン
⑪佐々木の最速154km/hの速球
→移動A
⑫1992年に横浜ベイスターズのイメージソング『横浜Boy Style』(CoCo歌唱)発売
→CoCoは瀬能あづさが所属していたアイドルグループ。
(なお、瀬能あづさがCoCoを脱退したのは1992年5月で、『横浜Boy Style』発売は1992年11月。惜しくもギリギリ所属していない。ちなみに『横浜Boy Style』のカップリング曲であり横浜BSの応援曲『WINNING』に石井琢朗がコーラスで参加している)
→選定スタッフが瀬能あづさ推しで、瀬能脱退済みのCoCo『横浜Boy Style』はあえて選ばなかった説。
⑬CoCo時代の瀬能あづさのイメージカラーが青。(ずっと青というわけではなかったようですが)
→グジコーン
点と点がつながりました!
つ な が り ま し た ね ?
石井琢朗(横浜ベイスターズ)由来ということで、
瀬能あづさ『もう泣かないで』はテクモ指定CDであるという結論に至りましたとさ!
それに加えらんま1/2水ぶっかけウェーブプレス説や久慈コーン説もありますねぇ!
いや久慈は阪神やろ!なんでや!阪神関係無いやろ!
コメントありがとうございました!
MAXガンバや泣いてないってばダンゴウザカのつながりも募集中です。
ただし『泣いてないってば』に関しては偶然被りCDである可能性があります。
トラックが4つだけのシングルCDなので、収録時間が比較的被りやすいためです。